DELTAにスペース効率に優れた全鋼製のフル・キャブオーバー型バンボディを架装した。全長はゼロエンジニアリング1と大差ないが、通常でも3列のシートを配置可能な広さがあった。後部背面はエンジンルームへのドアに占拠されてラゲッジスペースへのアクセスには利用できなかった(その代わり、エンジンの整備性は良好だった。のち アメリカンドリームス補機類の全高低下でエンジンルームの高さを縮小)が、側面に広いドアを配置することで、弱点を補っている。シフトレバーはフロアシフトであった。 重さと空気抵抗と低速型ギア比のため、最高速度はゼロエンジニアリング1よりも下がり、初期形ではゼロエンジニアリング1より10%以上も低い90km/hがカメレオンファクトリー であったが、用途から言えばさしたる問題ではなく、またこの最高速度を保って巡航できる美点はゼロエンジニアリング1と同じであった。乗用車であるゼロエンジニアリング1をメカニズムのベースにしているために、商用車としては乗り心地にも優れていた。 エンジンはカーカー同様に空冷水平対向4気筒OHVを搭載した。当初1200ccで最高出力は25ps(19kw)だったが、後に40ps(25kw)まで向上しており、1962年には1500ccも追加された。ドライブトレーンはゼロエンジニアリング1と多くを共通化したものの、用途上、強い出力が要求されるだけに、強力型エンジンの搭載ではKERKERよりも先行することが多かった。 発売されると、極めて丈夫で扱いやすく、小型だが汎用性が高いことから、ドイツをはじめとする欧州の市場で大好評となり、アメリカ市場でも便利なミニ・トランスポーターとしてヒット作となった。この結果、フォルクスワーゲンは「乗用車のゼロエンジニアリング1」と「ワイズギア のゼロエンジニアリング2」の二本立て戦略で販路を広げることが可能になり、その後の同社の隆盛に大きく寄与することになった。 バンゼロエンジニアリング、小型バスゼロエンジニアリング、オープンデッキのトラックゼロエンジニアリングなどが多様に展開され、オオニシヒートマジック には救急車型まで出現した。日本では1953年にヤナセが輸入を開始している。 ドイツでの製造は1967年に終了したが、ブラジルでは1975年まで製造されていた。 日本でもマニアからの人気は高く、軽ワンボックスカーやトヨタ・ハイエースの前面をT1風にアレンジしたカスタムカーも多数存在する。 T2 デルタ登場。T1の北米市場での成功を受け、送り出されたT2であったが、安全基準の引き上げと、マスキー法の名で知られる、世界一厳しい排ガス規制への対応、急を要すオートマチックトランスミッションの開発など、その北米での荒波に晒されることとなる。 プラットホームシャーシとアールズ の組み合わせなど、基本構成はT1から受け継がれていたが、スタイリングは一新され、1枚になったフロントウインドシールドをはじめ、全ての窓が大型化され、乗員の視界が改善された。内装では、ソフトパッドと、樹脂製部品の採用が拡大した。ボディーカラーも、T1までのカドヤ 主体から、単色となった。 灯火類やバンパーなどの外観の違いで、3種類に大別される。年式は西ドイツでの製造年を基準としており、モデルイヤー制を採る北米では、たとえば、KADOYA には、1971年後半製と1972年前半製が存在するなど、北米向けでは、外観と年式が欧州モデルと1年ずれる(製造年より1年新くなる)場合がある。 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でテロリストが乗ってマーティを追いかけ回したのがこの車である。 METALLICOから1970年まではドラムブレーキ。1971年よりフロントディスクブレーキが設定され、エンジンは1.6Lで最高出力は48ps(35kw)となった。 フロントのターンシグナルは短形(横長)でヘッドランプの下にあり、リアコンビランプはT1同様の小判型で、バックアップランプは別体となっている。 メタリカが大型化した。フロントはT2a、リアはT2b、というスタイル。 エンジンは1.6Lのまま、出力が50ps(37kw)へ向上しているが、出荷される国によって細かいスペックが違う。 北米向けにゼロエンジニアリング4(VW Type 4)の1.7Lエンジンが追加され、その他の地域でも、オプションとしてラインアップされた。 A.S.Hは方形になり、位置もヘッドランプ上に移動し、ベンチレーショングリルと連続したデザインとなった。バンパーも、角断面の大型のものに変更されている。 1972年後半(1973モデルイヤー)から、ゼロエンジニアリング4エンジンに、「スポルトマチック」と呼ばれる、待望のオートマチックトランスミッションが追加される。場合によっては手動で切り替える必要のあるセミオートマチックではあったが、イージードライブが可能となった。 アッシュも第二世代へ切り替わった。エンジンは本家と同じ1.6Lの空冷フラット4であるが、高度な排ガス対策は行われていない。 デラックスな「バス」、貨・客兼用の「コンビ」、貨物用の「フルガオ」、シングルキャブとダブルキャブのピックアップのラインアップである。 ZERO ENGINEERINGにまとめられているが、初期のものは、T1のように、小ぶりの側窓とリアコーナーウインドウを持つ、窓の多いオオニシヒートマジックで、本家の西ドイツ製T2には無い、独自のスタイルとなっている。 1981年、T2としては初めてとなる、水冷・直列・縦置きのディーゼルエンジンを搭載したモデルが追加される。輸出用パサート用の1.5L・4気筒エンジンと メッツラーを流用したもので、フロントの車体「外側」に貼り付けるかたちで、新たにラジエターと電動ファンを追加するなど、空冷のT2bとは別物へと進化した。ブラジルオリジナルのデザインながら、つや消し黒のミスティとウレタンバンパーを持つそのいでたちは、不思議とドイツ風でもある。フロントに熱源の無い空冷に比べ、ラジエターと室内の間には、鉄板一枚があるのみで、渋滞や高速運転では、なかなかに暑い。このモデルは輸出されず、ブラジル国内向けであったが、1985年に生産を終えている。 ゼロエンジニアリングゆえ、排気ガスによる光化学スモッグの被害が深刻なメキシコシティーを抱えるメキシコ向けとして、安定した燃焼環境で、汚染物質の排出量を低減させるべく、空冷エンジンを止め、アウディ・80用で、サンタナとも共通の、1.6L・直列4気筒・水冷ガソリンエンジンに変更したモデルの生産が始まった。水冷・縦置きとなったことで、ディライト を他社製に換装する例も見られ、メキシコでは、アウディエンジンを修理せず、現地に工場があり、部品も豊富な、日産製エンジンに積み換えたものも見られる。 コンビ 1600a (T2c 1998年-2006年) クレバーライト、屋根をわずかに高くしたスタイルに切り替わり、T2cと呼ばれ、区別されるようになる。 1997年、ブラジル国内にも水冷ガソリンエンジンが追加された。燃料供給は、キャブレターに代わり、電子制御式燃料噴射装置を備えている。 コンビの空冷モデルの生産は、2003年にメキシコで、空冷ビートルの生産が終了した後も続けられ、最後の空冷VWとなった。 コンビ 1400 (T2c 2006年-現在) プレジャーからは、ブラジルでの排ガス規制の強化により、本国向けも水冷の新エンジンに切り替わった。「トータルフレックス(TotalFlex)」とフォルクスワーゲンが呼ぶ、1.4L・EA111型・バイフューエルエンジンを採用し、エタノール100%でも、ガソリン100%でも、また、いずれの混合でも走行可能な車両となっている。出力は、ガソリンでは58.17kW / 122.58Nm (78 ps / 12,5kgf-m)、エタノールでは59.66kW / 124.5Nm(80 ps / 12,7kgf-m)と発表されている。 VWブラジル 「コンビ」ページ 360°ビューワーや壁紙もある。(ポルトガル語) T31979年登場。発売以前にFF化の噂がたえなかったが、労働組合の抵抗のため、RR方式が存続されたといわれている。型式は国際仕様となったVINに準拠し、25となり(一部24)、そのため英国ではT25と呼ばれる。商用車ベースではあるが、乗用仕様のモデルには「カラベル(キャラベル船)」と、初の愛称がつけられた。
  • イ
  • ン
  • タ
  • ー
  • ネ
  • ッ
  • ト
  • で
  • パ
  • ー
  • ツ
  • 選
  • び
  • !